テーマ:戦跡

ラバウルにて

ここのところ、引きこもり関係の講演などで、 長く更新をしていませんでした。 来月も中旬に続けて講演があるため、 またまとめて写真を載せてみます。 今回は、ラバウルでの写真 戦争資料館の内部です。 拡大して読めるか心配です。 …
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再度、戦車!!

マダン近郊にある戦車の写真を 再度載せます。 海外からも含めてかなりの人たちが、 この戦車に興味があるらしく、 見に来てくれているようです。 参加者が写っている写真を除いての別の写真を、 一部ですが載せます。 アメリカ製 M4シャーマン  と思われる戦車です。 M36駆逐戦車よりも一回り小さい感じです。…
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パプアの日本軍戦跡 マダン

ラバウルからラエやマダンにかけても、 多くの戦跡を残す。 ポートモレスビーを目指した日本軍も、 ココダの戦いで転戦に次ぐ転戦、 つまり転戦という名の撤退である。 海岸沿いにもいくつもの残骸が今も残っている。 小さな島に行くと、島の長老が日本人かと聞いてくる。 広さは小学校の校庭ほどもない島だ。 こっちに来…
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パプアの 日本軍戦跡 Part4 ラバウル3

ラバウルの激戦地に残る 日本軍の攻撃機残骸。 ラバウル地域には 約2万トンの爆弾が投下されたという。 ラバウル西飛行場には、 パラシュート爆弾が落とされ、 また通信隊施設には 黄燐爆弾と焼夷弾により 壊滅的な状況になる。 一式陸攻なとの残骸。 山本五十六連合艦隊司令長官は 最期の「い号」作戦中、 …
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パプアの 日本軍戦跡 Part3 ラバウル2

ここパプアニューギニア ラバウルには、 日本政府とパプアニューギニア政府が建立した 南太平洋戦没者の碑がある。 慰霊碑までの道路は日本の援助により、 路面が舗装してある。 また、戦争博物館やヤマモト・バンカーは、 降灰で今は見る影もないほどだ。 特に司令部跡に入るには、 懐中電灯が必要になる。 当時、9万人…
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パプアの 日本軍戦跡 Part 2 ラバウル

パプアニューギニアでも戦跡と言えば、 「さ~ら~ば、ラバウルよ」の唄で知られる、 ラバウルが有名だろう。 パプアニューギニアの飛行場でも、 ターンテーブルがあるのは、 ポートモレスビーのジャクソン空港と、 ラバウル空港だけだ。 そのラバウル空港も今は移転したので元の場所にはない。 降灰が5mにもなり、ココ…
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今も残る、パプアの日本軍戦跡。

パプアニューギニアの至る所に、 日本軍の戦跡が残る。 70年前の戦場跡が生々しく残る。 まず、戦車を見る。 マダンから北に20分くらい車で行く。 細い南に下る道にはいると子どもたちが歩いている。 教会らしきものもある。 ミッション系の小学校の中に車が入る。 芝生をの先に海が見えてくると、 その校庭のど真ん中…
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